千早物語の最近のブログ記事

 その部屋に通されて六四二秒。
 ただ呆然と私が待たされていた会議室の扉が開き、私は手をきつく握り締めた。
 なにやら口論しながら入って来たのは、眼鏡をかけた女の子――こちらは、どこかで見たことのある――と、スーツを着た男性だった。おそらく男性の方がプロデューサーなのだろう。
 男性の見た目は――あまりパッとしない感じ......才覚があるという感じでも、努力家でもなさそうな感じ。もちろん口には出さないが。
「待たせちゃってごめんなさい。......ほら、あなたからも謝る!」
「......あー、いや、遅れてすまない」
 そう言って少女に促されるまま、男性は頭を下げた。
「いいえ、大して待っていませんから」
 誰かに促された謝罪なんて意味もない。そんな謝罪なら、してくれない方が時間の節約になる。
 ......そういう意味で、彼の第一印象は最悪だった。
「さて、じゃ、これからのことだけど......事務所からはどこまで聞いてる?」
 私がまだ何も聞いていないことを伝えると、彼は額に皺を寄せた。
「......そうか、じゃ、順を追って説明していこう」
 彼が説明してくれたことによると、デビューは一ヶ月後で既に決まっていて、新曲の制作や練習、振り付けなどの時間を考えるともう時間がないのは明白だった。
「......と、こんなところかな。何か質問はあるかい?」
「いいえ、ありません」
 どの道、今の私には選択肢はないのだ。与えられた機会を生かせなければ、そこで終わりなのだ。
「......それより、時間がないなら急いでレッスンでもなんでもしませんか?」
 私は今日いきなりレッスン、と言われてもいいようにジャージ類一式をトートバックに入れて持ってきていた。時間がないのならば、今は一分一秒でも惜しい。
「なるほど、情熱も覚悟も十分というわけか。......ところで、どうして君はこの世界を目指そうと――歌を歌おうと思ったんだい?」
 いきなりの質問に私は拍子抜けし、そして痛いところを突かれた、と思った。
「......どうして、そんなことを聞くんですか?」
 とりあえず逆質問でお茶を濁しながら考える。......私の歌う、理由。
「いや、深い意味はないんだ。ただ、何となく理由を聞きたいと思ってね」
「............」
 歌以外に何もないから、とは言えなかった。私には何もないことを――空っぽで何もない、自分を認めてしまうようで、嫌だった。
「歌が――好きだから、です」
 嘘ではない――だけど、本当でもない理由を、私が何とか搾り出すようにそう言った瞬間、彼の瞳が私を凝視しているのに気がついた。
 まるで全てを見透かすかのような、子供のように澄んだ瞳に見つめられて、私は少し怖くなった。本当の自分を知られてしまうのではないかと――純真無垢な子供が、真実を察しやすいように。
「......いけませんか?」
 千切れ飛んでしまいそうなプライドを辛うじてかき集めて見つめ返すと、彼は目を伏せ首を振った。
「いや、そんなことない。......むしろそう言えるのは大切なことだ。この世界にいると、皆それを忘れてしまうからな。君は――」
「千早、でいいです」
「......千早は、それを最後まで忘れないでいてくれよ」
 彼の言う最後が早いことなのか、それともずいぶん先のことになるのかはまだわからない。――だけどもう、私にはこれしかない。私に下がる道はもうないし、戻りたくない。私は自分の手を強く握り締めた。
「では、早速レッスンに移ろうか。......だけどその前に」
 そう言うと、彼はこちらに向けて手を差し出した。
「改めて、これからよろしく、千早」
「......こちらこそ、よろしくお願いします」
 私は本心を悟られないようにその手を恐る恐る――だが、そうしていることすらも悟られないように――自分の手に重ねた。

(了)

 駅を出て、薄汚れた石畳の上を、地図を見ながらぴたり七六五歩。そこで顔を上げると、白いカラーテープで張られた『765』の文字。
 一階が居酒屋の入った雑居ビルの二階――ここが今日から私の事務所。
 ......そのはずなのだが、どうにも実感が沸かない。
 最終面接があったのが一昨日、合格の連絡をもらったのが昨日、早速事務所に来てくれと言われたのが今日。
 あまりに急過ぎて夢ではないかと疑った結果、窓ガラスに映る私の右頬はまだ少し赤い。
 私は意を決して、事務所に続く外付けの階段に足をかけた。
 この階段を上るのはこれで二回目。一回目は忘れられない、一昨日の面接の時だった。

 ※

 通された会議室で待っていたのは、765プロの高木社長、そして所属プロデューサーだという、男性一人の計二人。
 簡単な自己紹介に続いて口頭質問があり、最後に実技ということで私は歌を歌った。
 私は歌に関してそれなりに自信はあった。独学だけど練習は繰り返しやっているし、トレーニングだってずっと続けている。それに何より、歌いたいという気持ちでは誰にも負けるつもりはなかった。
 ......でも、それだけでは足りないらしい。
 歌っている最中、高木社長は腕を組んだまま微動だにせず、また男性の方もあまり良い顔はしていなかったように思う。......またか、と思った。
 実をいえば、事務所のオーディションを受けたのはこれが初めてではなかった。
 765プロの前にも、面接まで行った会社はいくつかあった。面接まで行って、歌を歌って――その都度言われたのは、不合格の言葉だけ。
 初めのうちは、相手に見る目がないのだた自分を奮い立たせていた。だけど不合格が重なってくると、次第に悩むことが多くなった。――もしかしたら、アイドルですら私には無理ではないのかと。

 私が歌い終わってから、しばらく部屋を沈黙が包んだ。
 高木社長は、何か悩んでいる様子だった。評価を決めかねているのか、それとも言葉を選んでいるのか――前者だとは思いたかった。
「社長、先にいいですかね?」
「......ん? ああ、構わんよ」
 社長を見かねてか、プロデューサーの方が先に口を開いた。プロデューサーは社長とは対照的に冷静に、そして真っ直ぐ私を見据えていた。
「千早くん......だよね。これまでにどこかでレッスンを受けたことは?」
「......いいえ、ありません」
「そうか......いや、だろうね。キミの歌声は素晴らしいとは思うが、技術的にはまだまだ荒削りだ。特に声以外の表現力が圧倒的に足りていない」
「............」
 歌の技術――私はそんな風に意識したことなんて、一度もなかった。楽譜と歌詞を見て、そして歌を聴いて、ただ上手く聞こえるようにすることだけしか考えていなかった。それではダメなんだと、誰も言ってはくれなかった。そもそものこととして......私は独りだった。
 誰も彼も自分のことばかりで、他人のことなど考えない。
 いや、だからこそ、私は自分の力で何とかしようと思った。だけど、その結果がこれでは誰のことも――両親のことすら、笑えない。
「社長......」
 一呼吸あけて、彼が再び口を開く。私は不合格の言葉が出てもいいように、覚悟を決めた。
「でも、彼女は伸びますよ」
 これまでの言葉を翻すかのように明るい調子で、彼は言った。
「......おいおい、君が言ってたことと矛盾するんだが」
「いいえ、全く。逆に言えば、彼女に足りないのは表現力だけです。技術なんて後からどうとでもなります」
「......しかしだな、このオーディションでは――」
「今回のオーディションで求めているのは即戦力ではないはずでしょう? それに、彼女のように未来のある人材を確保するのが我が社のためにも大事だと思いますよ」
 それからしばらく、彼は私の目の前で社長と論争を繰り広げた。
 ......驚きだった。見ず知らずである私の経歴【過去】でもなく、結果【現在】でもなく、これから【未来】を見てくれる人がいることが。 それもプロデューサーという、結果を出さなければならないはずの立場の人間が。......いや、立場ではない、それも含めて人それぞれなのだと、どうして忘れてしまっていたのだろう。
 その後、議論は私を差し置いて続き......後で結果を知らせると言われて返されたのが、秘書らしき女の子によって止められたそれから三十分後。私が出て行く時には、その子に二人揃って叱られている声が、会議室から響いてきたのを覚えている。

 ※

 結果として私が受け取った結果は、先ほど言ったとおり。デビューまで養成コースを受講するという制限つきではあったが、一向に構わない。
 あの面接では沢山のことを学び、自分の未熟さを思い知った。
 それでも半ば自分には進むことができないと思っていた世界が、手の届く所にきたことは純粋に嬉しかった。
 階段を上り終えると、そこには入り口の扉、そして『765プロ』と書かれた表札がある。――やっと、ここまでこれた。
 私は息を吸い込み、扉をノックする。
「はーい」という、少し間延びした女性の声を聞きながら、私はこの先のことに意識を向けた。
 レッスンは厳しいだろうか。仕事はどんなことをするのだろうか。テレビで見ているよりこの世界は厳しいのだろうか。......そして私につくことになる、プロデューサーはどんな人なのだろう。
 もしも叶うのであれば、あの人にやって欲しいという希望はあるが、そこまでは望むまい。ただ私の知らない『私』を見出してくれる人であれば、誰でも構わない。
「......ごめんなさーい、お待たせして」
 扉が開いた。......さあ、行こう。過去も現在も関係ない。これからの未来【私】を作るために。

(了)

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